四季は流れ
春の麗らかな陽射しで目覚めた日は、気分良く過ごせるような気がする。そんな安直な考えで幸せを感じられるくらいには、心に余裕が生まれていた。1年前までは目覚めるだけで鬱屈とした気分に支配されてたっけなあ。あまりにも酷いから鬱について毎日ググっては精神科に行って早く楽になりたいとか考えていたような。
頭を空っぽにして生きることができる素晴らしさを知った。お米の美味しさが身に染みてわかるようになった。自分を大切にすることが幸せに繋がることを覚えた。
金銭的な問題とは常に隣り合わせで、辛抱しなければいけないことも多い。実際今も給料日前で口座には3桁しかない。あと2週間食いつないで行けるかどうか…というところだが、何故か楽観的な自分がいる。食べない分痩せられる!というぐらい脳みそハッピー野郎になれたということかな。
今日は高島平通りから荒川河川敷までを散歩した。晴れの日を満喫するのはとても楽しい。川に向かうまでの間に満開の桜をたくさん見ることができた。都内には桜の名所が数多くあるけれど、そういう人が雑多に集まる場所よりも誰もいない自分だけが楽しめるような場所を見つけるのが好き。ちょっとショボくても、自分が満足できたらそれで良い。お散歩は、自分が気分良くなる為にするものだから。
コンビニのカフェラテ片手に河川敷の道を歩く 一緒に買ったチョコを食べる。1人プチピクニックは最高の気分転換になった。でも、途中で6人分くらいの青いレジャーシートでお花見の場所取りをしている2人のマブイお兄さん達とすれ違った時はちょっと羨ましいなぁと思った。お先に2人でプシュっと宴始めてて、冗談を言いながらキャッキャしてて くそ〜混ざりたい!と思ってしまったほどに。私も心を許している人と桜の下でお酒飲みたいです。
マジでウケる
これの1つ前の記事からの落差半端ないです。こんな展開ギャグだよギャグ。言うよ?2日前振られました。失意のどん底なワケです。あまりにも夢心地過ぎて不安だったけど やっぱりね。
もうほんと、生きてきた中で1番幸せだったので苦しさしかない。受験期以来に自殺願望高まっていて2日連続学校休んだ。ゼミも初めて休んでしまった。振られるとこんなにも精神めちゃくちゃになってしまうんですね。しかも 安易に友達に話して楽になることもできない。彼氏できた報告のことで軽くこじれたのに、1ヶ月にも満たない、あまりにも呆気ない終わり方してしまったと知られてしまったらそれこそ後ろ指指されてしまい更に辛くなるだけだ。
今回の件で、自分のことを他人にペラペラ話すことは損だということを学んだ…。もっと秘密主義でいるべきなんだ。でも、私はいつも誰かに自分の苦しみを話すことでいつも楽になってきた。1人で抱え込んでどうにか昇華できるほど強くはないから。しかし、これが通用するのは同性のみらしい。いくら信用してるからって言っても恋愛対象の異性には自分の多くは語らない方がいい。明け透けに何もかも思いつくことを話してしまったのが今回の敗因だ。悔しい。1番楽しい恋愛だった。楽しすぎたからこそ、相手のことをあまり考えずに過ごしてしまった。甘んじた という言葉がぴったりだ。
別にそんなつもりで持ってきたわけじゃないけど2つの枕や相手の家から持ってきたお箸、おろしがね、IKEAで買ってきたものとか全部視界に入ると思い出して辛くなって自分を責めてしまう。多分外に出ても、角の喫煙所とかやじろべえとか西友とかドンキに行くたび苦い気持ちになってしまうんだろうな。現に今思い出して涙出てきちゃってるし。何をしているんだ自分は。なんで楽しかった思い出は綺麗に終わってくれないんだろう。「あー そんな事もあったね楽しかったね」って気持ちよく振り返る事ができないんだろう。幸せと苦しみは常に1セットであることがほとんどでこの世はうまくできてるな、と思ってしまう。
簡単に得たものは、簡単に去っていく。
そもそも恋愛に対する価値観が180度違っていたっていうのになんでこんなに楽しくなっちゃったのかなぁ。1人暮らし始めたばっかりで浮かれてたのかな。冷静さをなくした人間の愚かしいことよ…。でも、本当に幸せだった。本当に本当に幸せだった。幸せ具合については前の記事でも書いたけど、私がこんなに幸せを感じたことって物心ついてから初めてなんじゃないかってくらい幸福感に満ち溢れてた。いままでは、結構幸せな場面になったとしてもうまく受け取れなかったり自分が自分じゃないような違和感に襲われて心の底から喜ぶことができなかった。自分が幸せになることに対して徹底的に臆病になっていたんじゃないかと思う。そんな臆病な気持ちを克服して、やっと自分も人並みの幸せを得られるようになったと思ったけど やっぱりダメだったね…。結局は魔法で夢を見ていただけでした。手痛い教訓と共に目覚めて未だに現実を受け入れられないままでいます。いつになったら夢だったって割り切れるのかな。
夢だったとしても、本当にいい夢を見せてもらいました。二十歳になる前の ほんの一時 甘い時間を味わえて嬉しかった。他人から見たら、遊ばれて惨めな奴って思われるかもしれない。愛情不足の女はチョロい 優しくすればすぐ股を開くしクソだなって思う。こんな性格になってしまったこと 爛れた恋愛ばかりしてること 過去を振り返れば思い出したくないことの方が圧倒的に多いこと それでも、自分のことを好きでいてくれた人と一緒に寝て朝を迎えること ご飯を食べること デートに行くこと 世の中のカップルが当たり前にしてるような事で当たり前の幸せを感じて心から満たされていた日々があったことに感謝したい。
また いつか こんな思いができる日々が訪れてくれるかな。今回のことがトラウマになって、二度と同じような幸せは感じられないような気がしてしまう。でも、10代のうちに手痛い失恋を経験しておけ、って誰かが言ってた。早くこの傷跡の痛みを克服して 元に戻って 恋愛に溺れない人間に成長したい。もっと、自分を愛してあげられるようになる。綺麗になる。凛とした人間になる。がんばろうね。
あなたを愛してくれる人は絶対にいるから 焦らずに出会える日を待とうね。
HT
6月26日は2人で家具を揃えに立川へ。
西台でレンタカーを借りて、初めてのデートらしいデートに行った。都心の道路を走るのは初の経験らしく、乗車してから1時間はだいぶ心が落ち着かなかった。(通り抜けできない道に入っちゃったり、交差点の真ん中で止まってしまったり) 助手席で不安を隠しつつも、1時間経った頃には状況を楽しめるくらいに慣れてきた。でも実際「遺書を書いてくればよかった」と思ってしまったことは秘密だ。
天気がとても良くて絶好のドライブデート日和だった。長年の夢が2つ同時にこんなにも簡単に叶ってしまうなんて思いもよらなかった。店内を見て歩いている時にはずっと彼の手首を掴んでいた。私が自分から相手に触れにいくことなんて今まで殆ど無かったけれど、とても自然に、当たり前かのように普通のカップルだった。買うものは全部持ってくれるし穏やかだし本当によくできた男だ。
13時に到着して2時間見て廻った後に会計。
ソファとテーブルを買う予定だったけど、私が気に入るものがなくて買わなかった。クロゼット用の収納と、洗面所に置くラック、キッチン・バスマット、布団カバー等で10,000くらい。5万も持ってこなくてよかった。
そのあとは18時まで近くにあったららぽーとの中でふらふらショッピング。ららぽーとに来るのは初めてのことらしく、逐一新潟と比べる発言にイラっとはしたけど面白かった。服の趣味がわりと一緒で、意見を言い合えるのが嬉しかった。過去の人がアレ過ぎたからね。
ユニクロ、本屋、GU、セリアで買い物をして終わり。2人で履ける黒スキニーを買った。私が試着してる時にカーテンが開いてたらしくガン見えだったらしい。恥ずかしすぎて未だに思い出すと笑いが止まらない。これは一生ネタにされる
ららぽーとを出る頃には既に夕暮れ時だった。車内から眺めた空はあまりにも綺麗な色彩を表していて、この上なく充実した1日を締めくくるのに最適な風景だった。2人で「今日は本当に充実した休日だったね」と話している途中に、幸せを感じ過ぎて涙が溢れてしまった。幸福な感情に慣れてなくてうまく喜べないけど、こうした日々を一緒に過ごしていける相手に出会えたことがとても嬉しい。ありがとうじゃ全然足りないけど本当にありがとう。
筆舌に尽くし難い甘い日々を大事に丁寧に生きていきたいです。
起点
前回の更新から約3週間が経った。
僅かと言うべきか、相応と言うべきなのかはよくわからないけれど、人生の中で大きな意味を与えてくれた日々だったと思う。正に転機であり、新たなスタートそのもので今までとは全く違う自分を生きているような感覚すら覚える。本当の幸せってこういうことだったのか、と慣れない甘美な時間が流れ続けていて、こんなに満たされた気持ちで居続けていいのかな?という不安を感じてしまうくらいだ。
「あなたは不幸に慣れすぎている」という言葉が頭をよぎる。やっとマイナスからゼロへ、これからはゼロからプラスへ進んでいけるのかもしれない。
同じ最寄りに住んでいる彼と意気投合して今では恋人同士の仲になった。2人きりで会った日からわずか14日間後の出来事である。初日に彼の家で鬼殺しを酌み交わしお互いの事情を知った。やはり、類は類を呼ぶんだな。でも私は上手く擬態できていたようで実際に私の口から話を聞くまでそんな闇を抱えているようには見えなかったらしい。だから、そういった面から好意を持たれた訳ではないのかな、と少し嬉しかった。
お互い恋愛に対してつかれている部分があった。「付き合う」ということに付随する責任が自らの心を蝕むことにつながることを知っていたのだと思う。付き合わずに、お互いの需要と供給を自然体で満たすことができる関係性を求めていた。友達以上恋人未満かそれ以上の関係性。世間体はあるけれど、気負わず楽に過ごせたらそれでよかった。交代で夜ご飯を作ったり、一緒にお酒を飲みながら動画を見たり、同じ布団で眠る幸せを噛み締めた。自分以外の人に(大したことない)料理を振る舞うのはかなり緊張したけれど、手前味噌ながら味覚には自信があったので満足してもらえるものが作れていると思う。食事はコミュニケーションだね。
むせ返りそうな程の惚気は程々にして、いつもの私らしく暗い側面も記しておこうと思う。この文句なしの甘い生活がいつまで続くのかが専らの不安だ。半同棲ということは朝から夜までのありのままの自分を知られてしまうということである。自分の全てを知られてしまったら絶対にいけない気がする。男女の関係においてそれは大切なことだ。どんなに深い仲になったとしても相手の知らない一面を残しておくことが魅力的であり続ける秘訣だと某アルファが言っていたし、その通りに実行していきたいと思う。寂しい気持ちを振り切って月に何週間かは1人暮らしの生活をする。生理の時は1人でいたいしその間はどっか行っててもらう、それが丁度いいんじゃないのかなと思っている。先人の知恵を借りて賢く付き合っていかねば、、、と計算高く生きております。
そしてもう1つは、友達に対しての自分の在り方。自分が幸せになり過ぎて周りに気遣いが出来なくなってきてるのではないかな、ということ。HAPPYオーラぶち撒けてたら、妬み嫉みが襲ってくるのが女社会である。こんなに満たされた生活を送れることなんて初めてだから、つい言葉にして自慢したくなってしまうけれど、ここは慎み深く言葉を選ぶことが大切なんだろうなと感じている。それが日本人の美徳というものなのだろうと思う。なんとも緻密な機微を扱うことを必要とするこの高コンテクスト文化ね。変わってるね。
母には「男を連れ込んだら承知しない」と念には念を押されているので日に日に嘘が上手くなっていく娘でありました。ごめんね。家族の支配下から逃れた今が1番有意義な時間を過ごしているよ。でも、感謝の気持ちは忘れずに伝えていきたいから 許してね。