誘爆

脳を捨てたい

起点

 

 

前回の更新から約3週間が経った。

 

僅かと言うべきか、相応と言うべきなのかはよくわからないけれど、人生の中で大きな意味を与えてくれた日々だったと思う。正に転機であり、新たなスタートそのもので今までとは全く違う自分を生きているような感覚すら覚える。本当の幸せってこういうことだったのか、と慣れない甘美な時間が流れ続けていて、こんなに満たされた気持ちで居続けていいのかな?という不安を感じてしまうくらいだ。

「あなたは不幸に慣れすぎている」という言葉が頭をよぎる。やっとマイナスからゼロへ、これからはゼロからプラスへ進んでいけるのかもしれない。

 

 

 

同じ最寄りに住んでいる彼と意気投合して今では恋人同士の仲になった。2人きりで会った日からわずか14日間後の出来事である。初日に彼の家で鬼殺しを酌み交わしお互いの事情を知った。やはり、類は類を呼ぶんだな。でも私は上手く擬態できていたようで実際に私の口から話を聞くまでそんな闇を抱えているようには見えなかったらしい。だから、そういった面から好意を持たれた訳ではないのかな、と少し嬉しかった。

 

お互い恋愛に対してつかれている部分があった。「付き合う」ということに付随する責任が自らの心を蝕むことにつながることを知っていたのだと思う。付き合わずに、お互いの需要と供給を自然体で満たすことができる関係性を求めていた。友達以上恋人未満かそれ以上の関係性。世間体はあるけれど、気負わず楽に過ごせたらそれでよかった。交代で夜ご飯を作ったり、一緒にお酒を飲みながら動画を見たり、同じ布団で眠る幸せを噛み締めた。自分以外の人に(大したことない)料理を振る舞うのはかなり緊張したけれど、手前味噌ながら味覚には自信があったので満足してもらえるものが作れていると思う。食事はコミュニケーションだね。

 

 

 

むせ返りそうな程の惚気は程々にして、いつもの私らしく暗い側面も記しておこうと思う。この文句なしの甘い生活がいつまで続くのかが専らの不安だ。半同棲ということは朝から夜までのありのままの自分を知られてしまうということである。自分の全てを知られてしまったら絶対にいけない気がする。男女の関係においてそれは大切なことだ。どんなに深い仲になったとしても相手の知らない一面を残しておくことが魅力的であり続ける秘訣だと某アルファが言っていたし、その通りに実行していきたいと思う。寂しい気持ちを振り切って月に何週間かは1人暮らしの生活をする。生理の時は1人でいたいしその間はどっか行っててもらう、それが丁度いいんじゃないのかなと思っている。先人の知恵を借りて賢く付き合っていかねば、、、と計算高く生きております。

 

 

そしてもう1つは、友達に対しての自分の在り方。自分が幸せになり過ぎて周りに気遣いが出来なくなってきてるのではないかな、ということ。HAPPYオーラぶち撒けてたら、妬み嫉みが襲ってくるのが女社会である。こんなに満たされた生活を送れることなんて初めてだから、つい言葉にして自慢したくなってしまうけれど、ここは慎み深く言葉を選ぶことが大切なんだろうなと感じている。それが日本人の美徳というものなのだろうと思う。なんとも緻密な機微を扱うことを必要とするこの高コンテクスト文化ね。変わってるね。

 

 

 

母には「男を連れ込んだら承知しない」と念には念を押されているので日に日に嘘が上手くなっていく娘でありました。ごめんね。家族の支配下から逃れた今が1番有意義な時間を過ごしているよ。でも、感謝の気持ちは忘れずに伝えていきたいから 許してね。